セクハラの定義と、女性への「敬意」について

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ここ1カ月ほどで、にわかに「セクハラ」が盛り上がっている。

「セクシャル・ハラスメント」が流行語大賞に選ばれたのは、1989年のことだ。平成元年である。

そこから、「パワハラ」「モラハラ」「アカハラ」「マタハラ」などの、ハラスメント派生言語が次々に出てきて、約30年経って、ついに1周してしまった。

茶化しているのではない。

セクハラは、断じて許されない。

特に、今の九州出身の男たちは、だいたい、上の世代のいろんなオッサンの「男尊女卑」的な嫌らしい部分を目にしているので、ウンザリして、反動が来ているように感じる。

大学の応援団時代、私は団長から「フェミニスト長嶺」という異名を拝命していた。有り難く頂戴した。

チアたちに対し、異様に優しいから、らしい。

というより、優しくする以外の接触方法がわからなかったのである。

ウブである。

もっとも、応援団の中で「フェミニスト」認定されたところで、「どんぐりの背比べ」もいいところで、一般的な基準の中では大したレベルではなかろう。

もちろん、優しいだけのフェミニストはダメだし、男は面白いだけでもダメで、仕事ができるだけでも、強気なだけでもダメ。

それは痛いほど心得ている。 痛々しいほどに。

だけど、女性を大切にしたいという思いは、誰よりも持っているつもりである。

この気持ちを取り出して、他人と大きさを比較するわけにはいかないけど、

敬意を持って女性を大切にしたい。

いくら、ふたりきりでも、女性記者は仕事を通しての付き合いだろう。

その相手に「胸触っていい?」「手縛っていい?」は、アウトである。

容疑者に関しては、刑事手続き上、無罪が推定される。

おそらく「メンバー」に関しても無罪が推定される。

ただ、酒に酔って、かなり乱暴なことを口走ったらしい。

強制わいせつについては、真相は分からないが、異性の高校生を自宅へ連れ込むという外形的行為そのものがマズかった。

未成年の女性なので、女性記者とはまた話の違う問題となる。

女子高校生の側は被害届を取り下げているらしいが、「メンバー」は公衆の面前で深々と謝罪し、身を切った。

こうした諸報道に乗っかって、「ターゲット」を安全圏から大上段に斬りつけ、道徳的に批判し、「セクハラは社会から根絶せねばならないっ!」と高らかに宣言するのは、それほど難しいことではない。

男たちは、自分のことを棚に上げれば済むからだ。要は「道徳ごっこ」だ。

非常にデリケートなことだからこそ、本音で身を切って書かなければ意味がない。

この世の中で、誰ひとりとして一切、肌を触れあわせる必要はないのであれば、ノーリスクだ。

しかし、そういうわけにはいかないだろう。確かに、人生でノーリスクはありえない。

では、男女が接近する上で、セクハラになるかならないかの、明確な線引きはあるのか?

じつは、存在しない。

私は、とあるインタビューで、セクハラ問題に多く取り組むベテラン弁護士さんから「女性が『嫌だ』と思ったら、セクハラです」と、明確なお答えを頂戴し、絶望したことがある。

もし、女性がどう思っているかが、ビシバシ読み取れたら、そりゃ エスパーである。

清田くんである。

そう、エスパーの概念が古いのだ。 だって、オッサンだもの。

同じキスでも、セクハラ(強制わいせつ)になるキスと、ならないキスがある。

見た目には非常にわかりにくい。

そこに「同意」という インビジブルな絆がなければ、合法的接吻として成立しない。

では、あなたは好きな女性に触れるたびに、事前に女性サイドから署名捺印入りの同意書を取っているだろうか。

そう、何もありゃしない。

丸腰で挑んでいるのである。 あらためて考えてみたら、恐ろしいことだ。

「きっと同意があるはずだ」「OKな表情のはずだ」という思い込みに基づき、希望的観測を胸に、一歩踏み込んでいる。

まるで、出題者の気分次第で、コロコロ正解が変わるクイズに挑んでいるようなものか?

それとも、地雷原を はしゃいで転げ回るようなものか?

仮にそうだとしたら、いずれにせよ、リスキーだ。

ひょっとして、あの高級官僚ガッハッハおやじは、女性記者から同意を取るつもりで、「胸触っていい?」と尋ねたのだろうか。

当たり前だが、取れるはずがない。

そして、ガッハッハおやじは、はなから同意など取るつもりはなかろう。

「触っていい?」のフレーズには、相手を辱めて、強引に優位な立場に立とうとする、せこい意図が込められていたはずだ。

ただ!

皆さん、胸に手を当てて振り返ってみましょう。

女性から同意を取れているかどうか、あいまいな状況のままでアプローチしたことが本当にないかどうか。

もちろん、女性が明らかに身体を逸らしたり、低いトーンで「やめて」「セクハラだよ」と指摘されたら、そりゃ、身を引かなきゃいけない。

我慢しましょう。

私もそうしてきた。

あの人も、TOKIOの大工さんも、そうすべきだった。

たとえ奥様だろうと、彼女だろうと、接触が「嫌だ」と拒絶されたら、セクハラは成立する。

ただ!

今までの、あんなこと、こんなこと……

すべてにおいて100%同意が取れていると確信できることなんてあるだろうか?

「その通り、100%同意を取るべきだ」

そうおっしゃる女性も、きっといらっしゃるだろう。

女性を一切、不快にしてはならない。 許されないのだというご意見だ。

仮に、もし仮に、女性から「あれ、本当はイヤだったんだよね! 強制わいせつ野郎!」と、後出しで指摘されると、辛い状況にまで追い込まれる男性もいるのではなかろうか。

こんなにも大切な男女のコミュニケーションを、みんな、合法か違法かスレスレの綱渡り状態でやってしまっているのだろうか? まさか?

かといって、ビビりながら……というのもおかしい。

もし、女性の感情を確実に察するライフハックというものがあれば、どなたかに教えていただきたいものだ。

これは、男であること自体のリスクなのだろうか。

もちろん、女性として生き、乗り越えること自体のリスクも、たくさんあることは承知しているつもりだ。

褒めたら喜んでくれたから。

寂しそうにしてたから。

拒否が弱めだったから……?

だからといって、ちょっとだけ強めに事を進めてしまったことはないだろうか。

具体的なことは書きませんが、かつて、ある女性に拒まれてしまったので、いさぎよく(仕方なく)身を引き、「ごめん、悪かったね」と、肩に軽く手を置いてから離れたことがある。

私なりには「フェミニスト長嶺」の面目躍如と思い込んでいるが、もし、あのときに肩を触ったことすらもセクハラだったと言われたら、立つ瀬がない。理屈的にはあり得なくもない。

ただ、一方で、こういう話も何かの書籍で読んだことがある。

「女性への敬意をもって接していれば、まずセクハラにはなりません。ちゃんと伝わります」と。

目には見えないし、表現は下手ですが、女性への敬意に関しては、たっぷりあります。

女性の言動にムカついたことや、面倒くさいと思ったこともたくさんありますが、それ以上に、助けられたことや救われたこと、自信が付いたことのほうがずっと多いです。

もちろん、俺が鈍感なせいで、傷つけたことや腹を立てたこともたくさんあったでしょう。

今思えば、面と向かって謝りたいことが、いろいろとあります。

たとえ、いくら敬意を持って接していても、揉めるときは思いっきり揉めます。

より一層、敬意を秘め、ときに感謝を口に出し、生きていきたいと思います。

ありがとう、女性。

ただ、「女性への敬意」とは、定義や証明が客観的に不能で、インビジブルな代物なので、それさえ携えていれば、本当に100%、女性を「敵」に回さないとも言い切れません。

敬意という曖昧模糊なものに、依存してしまうのも傲慢な考えではないだろうか。

そう、ここまで突き詰めて考えたくなるのは、私がただの理屈バカだからです。

ただ、突き詰めても仕方ないのです。

男と女は、いや、人と人の関係すべては、筋書きのないドラマなのだから!

結局、何を言いたいのか、サッパリわかりませんね。

過去、こんなにもたくさん「女性」と書いたことはありません。

ここのところ、筋を通さなきゃいけない原稿ばっかり書いているので、ちょっと疲れているかもしれません! 風呂入って、さっさと寝るっ!

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