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完璧な作品など、世間は求めていない

time 2016/10/06

完璧な作品など、世間は求めていない

 先日、ライターや編集者同士で交流する昼食会のようなものに参加しまして。

 全員が初対面だったんですが、ひとり、「絵本を描きたい」という30代のイケメンの方がいました。

 後で聞いたら、役者を目指していたことがあるそうで、今は作品づくりに集中して取り組んでいるらしいのです。

 

 じつは、どういう作品なのか、タイトルすら聞いていないのですが、一般的な話として

  •  面白そうなら、わたくしめが出版社に繋ぐことは可能です。

 ということと、

  •  これからは、Webで世間の反応を得てから、書籍化を視野に入れるということもアリなんだろう
  •  自分で販売力を持っているなら、有料で売ればいいし、中身に自信があるなら、無料公開したほうが反応がわかりやすい

 ……という無難な指摘をその場で伝えて、昼食会はお開きになりました(というより、私は次の用事と重なっちゃってたので、中座したんですが)。

 

 後日、その人からメールが届きました。

「自分には販売力もないし、肩書きもない。何もないからこそ、作品のツッコミどころをなくして、読者を黙らせると言ったら変ですけど、権威のようなものを得るべきではないかと

 この文面を読んでいて、何とも言えない気持ちになりました。

 

 「権威」うんぬんはともかく、何を隠そう、私もかなり近いことを考えていたからです。

 10年以上前、ライターを名乗りたてホヤホヤの頃です。

 書籍というものを一冊したためて、世に問う以上、原稿はできるだけ、完璧に近づけることを目標にしなければならないのだと。

 
 
 なので、最初に出した『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)なんかは、2006年の6月に企画して、2007年1月にようやく脱稿というペースでした。

 当時はもちろん、お金をもらうような正式な原稿を書くのに、慣れていなかったのもあります。

 それでも、あの企画を原稿に起こす難易度は、決して低くはありませんでした。

 まずは、裁判官の発言を200個以上ピックアップした後、それを90個ぐらいに絞り込みました(そうせにゃ新書サイズに入らんので)。

 さらに、発言1個につき、解説1ページという構成を厳守するという縛りがあるわけで、これが非常にきつい。せっかく図書館へ行って雑誌や新聞で調べたことを、泣く泣く削らざるをえない……なんて局面もありました。

 ただ、この縛りは自分自身で設定したものなので、ストレスを感じつつも、おのれで禁を破るわけにもいかず、どうにかこうにか形にしたわけです。

 あれから約10年経った今だと、下手で読んでいられない原稿です。

 でも、今にして思うと、その下手な書きぶりの中に生じた「隙」、すなわち「ツッコミどころ」こそが大切だったと確信しているのです。

 もちろん、狙って作った「隙」ではありません。天然の「隙」です(狙った時点で「隙」と呼ぶのもはばかられますが)。

 

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一億総「ツッコミ」時代

 
 「読んだけど、爆笑できなかったよ」と、面と向かって言われたこともあります。でも、「タイトルに偽りがあるので、金返せ」と言われなかったので助かりました。

 「爆笑お言葉集を読んで、泣いてしまいました」という、ややこしい感想をもらったこともあります。

 「5分で読んじゃった」と、なぜか誇らしげに言われたこともあります。「貴重な5分間を使ってくださって、ありがとうございます」と、お礼を返しておきました。

 「裁判傍聴って、大噴火さんとか北尾トロさんの真似ですか?」と言われたこともあります。いちおう大学の法学部を出て、司法試験を受け続けていたので、傍聴だけなら あの方々より先に経験済みです。

 「外で読んでいるとき、黄色い表紙が恥ずかしい」と言われたこともあります。それは幻冬舎新書の「仕様」です。私のせいではありませんし、どうぞ自己解決してください。表紙を外すなり、カバーをかけるなり、辱めに慣れて克服するなり……。

 

 あの本に関しては出版後も、読者の皆さんから、内容面で5か所ほど間違いの指摘をいただきました。

 ベストセラーのいいところは、増刷がかかるたびに修正できちゃうことです(笑)

 プライドの高い校正者なら卒倒するような考え方かもしれませんが、それでも別にいいんじゃないかと思います。

 世間はおそらく、完璧な作品を求めているわけではないからです。

 

 何かひとこと言いたくなる「ツッコミどころ」こそが、作品の魅力ではないかと思います。

 もちろん、「これは完璧だっ!」と、作品の迫力に圧倒されてみたいファンもいます。

 しかし、手放しに褒めることが体質的に合わず、何かひとこと物申したい人も必ずいます。

 これらの様々な思惑や営みを、全部ひっくるめて「世間」です。

 

 書き手は、執筆活動を独占すべきではありません。傲慢な考え方ですし、実際問題、独占などできるはずもありません。

 みんな、誰かの作ったものに対して、ああだこうだ言いたいのです。

 何かしら、何か言い残すことによって、誰かの執筆活動に参加してみたいのだと思います。

 

 作り手にしてみれば、受け手に理不尽なことを言われたり、誤解されたりもしますが、それすら、後でおいしいネタにして笑い飛ばせばいいのです。

 誤解されるぐらいでちょうどいいのです。おそらく。

 

 作者に権威があるなんて、とんだ勘違いです。

 少なくとも、インターネットが存在せず、表現手段を一部の人間が独占していた20世紀までの遺物的な発想です。

 「これが宗教の教祖になりたい」ということなら、宗教法人を立ち上げる前に、手始めに(経典代わりの)著書でも出して…… 信者候補として読者を集めて…… という発想で構わないかもしれません。

 普通はそうじゃないですよね。

 今の時代だと、信者からツッコまれやすい教祖のほうが、宗教が長続きしやすい気もします。なんとなく。

 

 漫才で言えば、作者は「ボケ」であり、読者は「ツッコミ」です。

 双方が融合して初めて成立するのです。

 それでも、「ボケ」は、論理的に詰められるところは、可能な限り徹底して詰めるべきではないかと。

 そして、その後は世間(ツッコミ)に委ねるのです。

 車でいえば、最低限の安全性や駆動力を確保するメカニック的な部分が、原稿の論理的構造だと思います。

 しかし、その他の外観上のデザインとか乗り心地とか、オプション仕様、アクセサリーなどの部分は、完全に個人の好みなので、そこは甘んじて「ツッコミ」を受け入れてみるべきではないでしょうか。

 完成度を高めようとするのはいいのですが、完成度を高める方向性や動機が「ツッコまれないようにするため」になっちゃうと、もったいないというか、ただの自己完結ですよね。今後の発展性を望みづらい。だったら公表しないほうがマシです。

 

 もちろん、すべての「ツッコミ」を受け入れる必要はありません。

 ただ、オノレが溜め込んだルサンチマンを小汚く吐き出しただけの、ゴミみたいな匿名ツッコミについては、華麗にスルーし、社会人として最低限の責任を果たされている建設的なツッコミにのみ、ボケは頭を引っぱたかれればいいのです。

 

 最新作の『東京ガールズ選挙 こじらせ系女子高生が生徒会長を目指したら』(ユーキャン)は、去年の9月から暮れにかけて、約4か月かけてじっくり原稿を書きました。

 リライトや校正、再校も入り、(読者ごとの設定の好き嫌いはともかく)論理的には破綻がないように作り込んだのです。

 しかし、最近になって1つだけ、あのストーリーの中で、論理的におかしい箇所を見つけてしまいました。

 クルマだったら、リコールすべきかもしれませんが(笑) 気づいてくれた誰かからビシッと「ツッコミ」をぶちかまされるまで、放置しておきます。

 原稿は、編集者とともに磨き上げただけでは、まだ未完成です。

 世間に晒して、著者と読者との間のコミュニケーションが生じて、初めて有機的な意義を伴って完成するのです。

 

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いらっしゃいませ

長嶺 超輝

長嶺 超輝

「ナガミネ マサキ」 と読みます。たまに、「カンダ マサキ」と間違われます。 [詳細]

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