「息子がなかなか食べてくれない。 かわいくない。 だから、そのまま放っている」
「夫婦仲がよくない。 だから、その矛先が子どもに向かってしまうんです」
事件が発覚する直前、母親は、県の家庭相談センターに、電話でそのように報告していたという。
5歳の息子と3歳の娘、4人家族。
母は子育ての傍ら、スーパーマーケットへパートに出ていて、勤務態度は至ってまじめだったという。
父親は家庭に関心がなく、子育ては完全に妻任せだった。 妻に相談せずに転職をしたり、借金を繰り返したりしていた。
それで妻は夫に対して、何かと支配的に対応していた。
夫は、ますます家庭に寄りつかなくなった。 息子が育児放棄(ネグレクト)の状態に置かれていると知っていても、見て見ぬふりをしていた。
妻はますますひとりで追い詰められていた。
娘を預けていた託児所の連絡ノートに、母は、家庭内での息子の様子や振る舞いも書き記していた。
衰弱しきって動けない状態にもかかわらず、まるで元気で問題ないかのように、託児所のスタッフに伝えていた。
2009年、奈良県内の自宅で、5歳だった長男を栄養失調の末に死に至らしめたとして、保護責任者遺棄致死罪に問われた父と母。
当時、導入されたばかりの裁判員裁判で行われた。
「自分も夫に裏切られ、心にダメージを受けたら、きっと同じ気持ちになると思う」と、同情を寄せる裁判員もいれば、「一生かけて償いたいと言っていたが、どうしたら償ったといえるのか。償いきれないのでは」と、厳しい態度で臨む裁判員もいた。
◆2011年2月10日
母親に対して、懲役9年6か月の実刑判決が言い渡された。
裁判員裁判が始まる前、裁判官だけで同種の事件が裁かれたら、懲役6~7年ほどが科されていたので、庶民感情が量刑に上乗せされたといえるかもしれない。
橋本一裁判長は、「結果は取り返しのつかない重大なもの。子どもを自己のストレスのはけ口にしたことは断じて許されない」と、容赦ない判決理由を読み上げた上で、「あなたが託児所に提出した連絡ノートにつづっていた、長男の元気な様子は、あなたにとっての理想だったのでしょう。だからこそ現実を見てほしかった」 と、母親自身にも迷いや葛藤があった点に一定の理解を示していた。
◆2011年3月3日
父親に対しても、懲役9年6か月の実刑判決を言い渡された。
直接育児放棄をしたわけではなかったが、妻に育児を任せっきりで「見て見ぬふり」をするのも、全く同罪だという判断だ。
橋本裁判長は「息子をまるで人間扱いしなかった。無関心という名の虐待であり、やはり虐待を能動的に実行した立場といえる」と厳しく非難した上で、「くしくも今日は息子さんの命日です。冥福を祈り、今後の生活をスタートさせてください」と説諭した。
昔であれば、子どもは同居の爺さん婆さんや、地域の人たちで手分けして育てたのでしょう。
しかし、核家族化が進行する昨今、「夫婦だけで育てなければならない」と追い詰められがちな家庭が増えています。
ともすれば、嫁と姑は対立しがちであるため、姑と別居する核家族化は「社会が望んだ方向性」ではあるのですが、一方で育児にとってはリスクが伴う場合もあります。
育児の負担を軽減することは、少子化の解消にとって重大な課題ですね。 失敗したら取り返しが付かない育児の負担にびびって、結婚に萎縮する人も増えています……。
そのほか、橋本裁判官のお言葉
『もし、私が毛を茶色に染めて、ピアスをしてしゃべったら、みんなは真剣に聞いてくれると思いますか。 それぞれの場所には、ふさわしい格好があると思います』
中学校の入学式前に、女子生徒の茶髪を黒スプレーで染めた教師を殴り、ケガを負わせたとして、傷害罪に問われた父親に対し、被告人質問で。
(高松地裁 橋本一裁判官)1996/07/15判決
※ただし、発言日(被告人質問の期日)不詳
⇒ この事件もなかなか微妙ですね。 校則を守らない生徒に対して激高的に対応した教師も、その教師を殴って娘の味方をしたつもりの父親も、「どっちもどっち」と片付けるのは簡単です。はたして、「もし、裁判官が茶髪なら……」と説得する橋本判事のお言葉は、どこまで被告人に響いたでしょう。