31歳の頃、私は最初の本を出しまして……
新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・ネットニュースと、幸運にもたくさんの方々から取材を受ける機会を頂戴しました。
取材をする側もフリーライターなら、取材を受ける側もフリーライター…… ということも、何度かありましたね。
そのうちのひとりから、取材が終わった後に尋ねられました。
「長嶺さんは、ライター経験、どれぐらいあるの?」と。
その人は、経験豊富なベテラン男性ライターで、たくさんの雑誌で取材して書いていたようです。当時40歳前後だと思うので、今の私と同じぐらいの年齢でしょうか。
正直に答えました。
「ほぼありません」と。
「100円ショップとかホームセンターなど、出版と関係ないアルバイトばっかりしてました」と。
すると、そのベテランライターは、いかに苦労して今の立場まで上り詰めたかを、こんこんと私に説いてきました。
昔は出版社に勤めていて、新人の頃は先輩の厳しい指導でストレスが溜まったそうで、終電逃して朝帰りになることもあったと。
フリーになったときも、大物の芸能人や政治家に取材して、長い間待たされたり、急にキャンセルになったり、威圧したり茶化したりする失礼なこともされたのだと。
別れ際に、わざわざこんなことを言う必要があったのかどうか。
それこそ、私を威圧し、「自分のほうが上である」と、心理的なマウンティングで優劣を確認しておきたかったのかな?
「ライターを名乗るには、これぐらいの苦労をせねばならん」
「下積みもなく生意気に本なんか出すんじゃない」
本当にすみません。
順番を守らず、下積みもスッ飛ばして、生意気に著書なんか出してごめんなさい。
しかし、申し訳なさの一方で、私はこうも思うのです。
「ライターになるための下積みや修行期間があるとは…… なんて贅沢な立場なんだ!」と。
いくら、下積み時代の苦労話をされたところで、そんな恵まれた育成環境を享受できた運と実力を自慢している風にしか受け取れません。しかも、会社員として給料をもらいながら、ですよね。
紙媒体の執筆スペースは、既得権益……なのかも?
新聞や雑誌など、紙の媒体において、ライターが寄稿できるスペースなど限られています。
紙媒体に書くスペースが与えられているだけでも、ライターとして十分なステータスになります。
週刊誌の連載なんて、著名な作家陣ばかりです。 「既得権益だ」と悪口を言う人もいるほどです。
私も、連載させてもらえる雑誌がありますけれども、そんな「既得権益」の中心から振り落とされぬよう、全身全霊をかけてしがみついております。
このご時世、紙に書くチャンスが減ることはあっても、増えることはなかなかありません。
新人が食い込める余地は、ほとんどありません。
でも、大丈夫です。
Webがあります。Webに書きゃいいのです。
原稿料こそ、紙に比べたら「ふざけんな」と言いたくなる額ですが、これももう少し我慢すれば大丈夫です。
紙媒体の原稿料は、おおむね下降トレンドですが、Web媒体の原稿料は上昇トレンドにあります。 そのうち、差は縮まり、逆転すら起きるでしょう。
読む人が増えれば、広告料を上げることができますが、読む人が減れば、広告枠は安く売らなければなりません。 ベタな需要と供給の法則が、ここにもあてはまります。
何年も下積みを重ねるのは、むしろリスクが高い
私は、文章を書くことを職業にするための下積みなど、一切していません。
20代の頃、弁護士になるために論理的な文章の書き方を、徹底的に身につけようとしたけれど、その練度が中途半端だったので、司法試験に落ち続けた。それだけのことです。
給料をいただくどころか、予備校へ授業料や模擬試験(答練)の代金を上納していた立場です。
弁護士になるのを諦めて上京し、「司法試験に若さを捧げて20代を犠牲にしたぶん、これからは好きなことをやって生きよう!」と決意し、30社以上の出版社(有名な大手と、個人的に好きな書籍を出している版元)に、企画書を封書で郵送したのですが、反応はナシのつぶて。
仕方なく、アルバイトと並行して(ときどき仮病でサボりながら)ブログを書いたり、ホームページを作ったりしていたら、新聞に取り上げていただき、それをご覧になった某編集者に「本を出しませんか」と打診された。
それだけのことです。
今のようなスマホやタブレットも存在しない10年以上前ですら、Webの世界から無名の人間が打って出ていくチャンスがあったのです。
ハッキリ申し上げますと、これだけインターネット環境が整備され成熟しつつある時代に、ライターになるのは難しくありません。 下積みも必要ありません。
下積みというのは「正解があった時代の遺物」です。
新聞なら新聞、雑誌なら雑誌の執筆ルールに従う必要があった時代なら、有効だったかもしれません。
ただ、何年もかけて下積みを重ねて、その先に待っているのが「正解」ではなく「崖っぷち」だったら絶望的です。
下積みで培ってきたものを信じたあげく、崖っぷちに落ちたとしても、誰も責任を取ってくれません。
これからは、何がうまくいくのかを自分で模索し、試行錯誤を繰り返していかなければなりません。
自分発信で企画を出せる人なら、本を出してデビューするぐらい、たいして難しくないのです。
今だから言えますが、私は司法試験に合格しなくて幸運でした。
司法試験で培った論文能力を応用して、難しい話を噛み砕いて解説することができれば、無理して弁護士になる必要はありません。 それなりにライターとしてやっていけます。
ライターとしての最低限のルールは、現場でおぼえられます。
私は最初、添付ファイルで原稿を送る発想が欠落しており、メールの本文に原稿をコピペして送信してしまいました。
編集者から、苦笑いでたしなめていただいたものです。 しかし、そんなものは一時の恥ですよ。
そんなレベルでも、結局やっていけます。大丈夫です。
もし、今の時点で、自ら企画をひねり出す自信がないとしても、問題ありません。 編集者の発注に粘り強く応えられる柔軟性があれば、ライターとして食べていけます。
ただし、
いずれにしても困難なのは、「ライターであり続けること」です。
企画力で食べていくライターは、その企画を気に入ってくれる編集者を探し続けなければならず、収入を安定させることが難しくなります。それがリスクかもしれません。
柔軟性で食べていくライターは、収入を安定させやすいですが、年齢を重ねると「もっと安く、似たような原稿を書ける若手ライター」が台頭してきます。 どこかのタイミングで何らかの独自性を打ち出す決断をしなければ苦しくなります。
それでも、挑戦しがいはありますよ。
Webコンテンツの品質を自動的に評価する、Web検索の人工知能は、ここ数年で格段に賢くなっています。
中途半端な小細工を使って、高品質を偽装しようとする、しょうもない文章のレベルを見抜き、検索下位に叩き落とす眼力を身につけました。
小細工なしのマトモな文章を判別し、自動的に高く評価する方向で、急速に発達しています。
これから、確実にやってくるはずなのです。
ちゃんとした言葉づかいと筋立てで、マトモな文章を書けるライターの努力が報われる時代が、もうすぐ来ます。
必ず来ます。
来なきゃ、ぶっとばすぞっ!